ウィーン・トロンボーン四重奏団

ウィーン・トロンボーン四重奏団は今回4回目の来日になりました。2001/2004/2009年に来日して当初とはメンバーも仕事の都合も有り変更しました。今はウィーン交響楽団トロンボーンセクションの4名がメンバーとして活動しています。
彼等の素晴らしさは,従来のトロンボーン四重奏の枠を超えて、室内楽やオーケストラ曲をアレンジされた超難曲に挑み、その音楽のエッセンスを見事に表現していることです。管楽器,しかもスライドテクニックでは不可能と思われるテクニカルなものを克服すべく,多くの時間を費やしてリハーサルを重ね、その音楽の表現の再現に努力しています。まさに一歩間違えば滑落するような山の稜線を登山しているようなものです。自分たちの内なる欲求をそこまで追い続けるトロンボーン四重奏団. 彼等のレパートリーに顕著に現れてきます。でも、四重奏の楽しみも忘れてはいません。オーストリア人の血の音楽である民族民謡のアレンジやウィーン情緒を楽しませるヨハン・シュトラウスなど盛りだくさんでした。
今回のツアーではDovorak:Symphony No.8 1st Movement が特に会場のお客さんに気に入られたようです。素晴らしいアレンジと演奏でした。次回があるのか判りませんが,彼等のホームページもたまに覗いてみると面白いとおもいます。
http://www.wiener-posaunenquartett.at/

ニューヨーク・フィル・ブラス・クインテット

昨日2012年7月6日枚方市民文化センターにてNYPBQ(ニューヨーク・フィル・ブラス・クインテット)の初日公演が始まりました。4日の午後日本着。流石に皆疲れている様子。一晩休んでもらい翌5日午後からリハーサル。7日北九州響ホール、8日鹿児島みやまコンセール。9日東京にて全員がマスタークラスとミニコンサート。
そして10日はTOC東京オペラシティーコンサートホール。以降も16日の最終公演まで無休です。
なんと凄いアーチスト達でしょうか。11日間を毎日コンサートですよ。とても申し訳ないけど日本人アーチストには出来ませんね。体力と気力が違います。コンサートをするには健康でなければできません。日頃のトレーニング、体調管理はまるで一流アスリートと同じです。個人技・団体技両方必要です。
しかも一番重要なのは、音楽をする という事!ただ音の羅列をこなすのではありません。そんなものはコンピュータにやらした方がいいに決まってます。人間の身体と能を使ってアナログで音楽をしていくのです。電子音を大きくして聴衆に効かせるのではなく、自分の呼吸で音を届けるのです。オペラ歌手も同じ。マイクで安っぽいPA技術でごまかすのではありません。
彼らの世界に誇る超一流のブレスコントロールとメロディーの歌い回しを生で体感してください。生はCDなんかとは情報量が雲泥の差があります。生のコンサートに行かないのは、音楽を語る資格もありません。ましてや音楽をする人間なら尚更です。
ある一定以上のレヴェルのコンサートは必ず目に見えない大きな収穫があります。右脳が貧弱な人間は機械の方が勝ります。
さあ、コンサートに出かけて脳みそを活性化させましょう。

Der spezielle Aufsatz: Mein Weg zum Whohltemperierten Klavier / Jörg Demus

Mein Weg zum Wohltemperierten Klavier


Edwin Fischer sagte: das Wohltemperierte Klavier von J.S. Bach sei die höchste Erhebung des Abendländischen Musikgebirges...
So einen Berg besteigt man natürlich in Etappen und mit bester Vorbereitung. So gab ich im Jahr 1948 ein Konzert im Brahms-Saal in Wien mit zwölf Präludien und Fugen und Beethovens Sonate op. 110; im darauffolgenden Jahr wieder zwölf Präludien und Fugen und Bachs Chromatische Fantasie.
Dann kam das Bach-Jahr 1950 (das 200. Todesjahr) und da mietete ich mir selbst den Brahms-Saal – gleich für vier Abende hintereinander – und spielte alle 48 Präludien und Fugen, dazu je ein weiteres Clavierwerk von Bach.
Der erste Abend war schütter besucht, aber es sprach sich bald herum, dass es gut sei – und der letzte Abend war ausverkauft. Ich darf sagen, dass dies wirklich der Anfang meiner Laufbahn gewesen ist; denn bereits 1946 hatte unser genialer Friedrich Gulda mit nur 16 Jahren den Ersten Preis in Genf errungen; und andere große Talente – Ingrid Haebler, Paul Badura-Skoda, Walter Klien, Alfred Brendel – ließen aufhorchen.
Im nächsten Jahr war dann meine erste große Südamerika-Tournee und da kam schon mehrmals das Wohltemperierte Klavier dran, in den folgenden Jahren spielte ich es eigentlich in der ganzen Welt.
Und wie war ich dazu gekommen? Eigentlich – aus Liebe. Am Anfang meiner Lehrzeit an der Wiener Musikakademie stand fast jeden Monat ein neues Präludium und Fuge auf dem Lehrplan – und mein Lehrer Professor Walter Kerschbaumer ließ mich klugerweise das jeweils nächste Stück selbst auswählen. Ich spielte also für mich selbst in diesem wohl größten Schatz von uns Clavierspielern – neben den Sonaten Beethovens – von vorne nach hinten, von hinten nach vorne und fand viele Lieblinge, welche ich im Titelverzeichnis jeweils mit einem Strich bezeichnete. Derer wurden mehr und mehr, bis alle 48 Präludien und alle 48 Fugen angestrichen waren...
Auch war ich ’erblich belastet’ – meine Mutter, eine sehr gute Geigerin, hatte zur Feier des Bach-Jahres und ihrer Landolphi-Geige (ebenfalls von 1750) alle Bach-Suiten und -Partiten auswendig gelernt, nur zu ihrer Freude!
Diese Freude ist uns beiden geblieben, bei mir noch erweitert durch die musikalischen Erkenntnisse, welche sich mir in reichem Maße darboten: eine freie und gesangliche Polyphonie (nicht so streng wie jene Palästrinas, nach welcher wir Kontrapunkt studierten), ein großer Formenreichtum – im II. Band finden wir gar zweimal eine richtige Sonatenform in den Präludien aus D und B; eine für spätere Meister fast obligate Charakteristik der Tonarten; neben einander steht Religiöses und Weltliches, auch Tänze, gar „Etuden“, Arien, Duette, Trios und vieles mehr.

Von diesem reichen Schatz zehre ich nun seit über 60 Jahren und werde nie müde, neue Feinheiten zu entdecken, elegantere Lösungen bei den Verzierungen, bei Deklamation und Phrasierung aller Stimmen – basierend auf einem musikalisch ausgefeilten Fingersatz, der damals viel schöner Applikatur hieß – eine strenge Forderung Johann Sebastians an seine Schüler.
Dies alles ist wichtig für eine musikalisch befriedigende Wiedergabe auf einem der vielen Clavier-Instrumente, vorzugsweise einem mit variablem Anschlag. Aber damit wär’s immer noch nicht getan.
Große Musik enthält durchweg einen Inhalt, eine anstatt in Buchstaben in Noten geschriebene Botschaft, die es jeweils zu ergründen gilt. Selbst wenn wir hier nicht hoffen dürfen, immer genau das von Bach Gedachte zu erfassen, ist allein schon die Bemühung um einen Inhalt Voraussetzung für eine eindringliche klangliche Realisierung dieses und aller großen Werke.

Wie überbrücken wir den zeitlichen Abstand zwischen der Welt Bachs, der Welt seiner Clavier-Instrumente?
Zahlreich sind rein historische Ansätze, sie alle scheinen nur einem Teil der unfasslich reichen Erscheinung Bach gerecht zu werden. Ein wenig Geheimnis, ein wenig Mystik muss wohl bleiben...

Es gab viele geistige Ansätze – beschreibend die reiche musikalische Faktur, die kühne Dissonanzbehandlung – die fast unerschöpfliche Kombinationsgabe Bachs zu erläutern, aber wie kann jemals „erklärt“ werden, dass ab einer gewissen Reife sämtliche Werke Bachs, Mozarts, Schuberts inspiriert sind? Lassen wir hier doch dem Übernatürlichen etwas Raum...

Schließlich das allumfassende SOLI DEO GLORIA - über das Seelische zum Göttlichen, über das Religiöse zum Kosmischen.

Bescheiden (wie wir sind) begnügen wir uns für diese große Aufgabe mit der möglichen Hilfe aus all diesen DREI Sphären.



Herzlich Euer


特別寄稿文:わたしが歩んだ平均率への道 /イェルク・デームス (近藤静 訳)

私が歩んだ平均律への道  イェルク・デームス

J.S.バッハ平均律ピアノ曲集は西洋音楽芸術の最高峰である」エドウィン・フィッシャーはこのように言いました。
このような偉大な作品は、勿論最善の準備をして段階的に勉強せねばならないものです。
私はまず19歳の時、ウィーン楽友協会ホールのブラームス・ザールにおいて、平均律
12曲とベートーヴェンのOp.110のソナタと言うプログラムで演奏会を致しました。
翌年にはまた、平均律の別の12曲と半音階的幻想曲とフーガという演奏会を開催しました。そして21歳の時にバッハ死後200年の記念の年を迎え(1950年)、自分自身でブラームス・ザールを4晩連続で借りきって、全48曲を4晩に分けて演奏しました。
最初の晩はお客さんもまばらでしたが、口コミで評判になり、最後の晩にはついに満員の聴衆の前で演奏したのです。この演奏会での成功こそが、私の演奏家としてのキャリアの第一歩であったと言えるでしょう。
この翌年には初めて南アメリカへの大掛かりな演奏旅行がありましたが、ここでも何度も平均律を演奏しましたし、翌年にはほぼ世界中で演奏致しました。
ではどの様にして私はこのような成功に至ったのでしょうか?
実のところを言えば、ただバッハへの愛によるものだと思われます。
ウィーン・アカデミーでのカリキュラムには、ほぼ毎月1曲ずつのプレリュードとフーガが入っていましたが、私の先生であったワルターケルシュバウマー教授は私自身に選曲を任せてくれました。ベートーヴェンピアノソナタと並んでピアノ演奏家にとっての最大の宝であります平均律を、私は最初から最後まで、また最後から最初に戻り演奏しつつ、一番のお気に入りの曲に印をつけていきました。印はどんどん増え、最終的には48のプレリュードとフーガ全てについていたのです。
その後の演奏は私の場合、音楽的知識によってより深いものとなっていきました。
自由で声楽的なポリフォニーパレストリーナの対位法のように厳格でなく)、より大きく豊富な形式で書かれ(2巻のD-DurとB-Durは確実なソナタ形式であります)、宗教的な曲、世俗的な曲が交互に混ざり合い、舞曲、エチュード、アリア、デュエット、トリオ等様々な曲がこの平均律には含まれています。

この豊富な宝の山を前にして私は60年以上もの間、新しい可能性を見つけることに一度たりとも疲れた事はありませんでした。たとえば装飾音のよりエレガントな入れ方や、全ての声部のフレージングや抑揚の付け方を考える事など(これらは全て私の使指い法に基づき考えられたものですが)、そしてバッハが自分の生徒達に求めた厳しい要求にこたえる事を
楽しんで研究しておりました。
これらすべては様々なピアノ楽器で演奏する際、音楽的に満足いく演奏をするためには
重要なことであると思われます。
偉大な音楽作品には必ず‘内容’と言う物があります。文字の代わりに音符で書かれた
メッセージで、作曲の根幹にあるものです。たとえ我々自身が、バッハが考えた通りの事を常に正確に理解する事を望んではいけなくても、「自分自身で内容を理解する努力をする事」が、この曲集、そして他の全ての偉大な音楽作品を説得力と響きに満ちた演奏にする前提条件であると思われます。

我々とバッハの時代の世界と楽器との違いについてはどう見ていけばよいのでしょうか?
歴史的な手掛かりはたくさんありますが、バッハの豊富過ぎる位の作法を正しく理解するための手掛かりとしてはほんの一部に過ぎません。謎や神秘的な部分も少し残っているものです。

精神的な手掛かりはたくさんあるかと思われます。豊かな音楽的要素と大胆な不響音の扱い、尽きる事のないバッハの音楽の融合を説明する事です。しかし、この様に完成度の高いバッハやモーツァルトシューベルトの作品からインスピレーションを受ける事をどのように説明できるでしょうか?これは超自然な現象と言わざるおえません。

しかし何と言っても、全てを包括するのは-SOLI DEO GLORIA-(ただ神のみに栄光あれ)、
魂を超え神の世界に、宗教を超え宇宙的なものへ、と言う事です。

我々もこの3つの領域(歴史的、精神的手掛かりと神への栄光)の助けを可能な限り借りて、この大きな課題(平均律)と謙虚に向き合っていきましょう。

   皆様の イェルク・デームス

ニューヨーク・フィル・ブラスクインテット コンサート

バーンスタイン時代のニューヨークフィルから受け継がれた全米一のオーケストラサウンドの根幹を成す金管セクション。
その首席の名人たちで結成している New York Philharmonic Principal Brass Quintet.
各セクションの中核を担う首席4名が織りなすサウンド。恐るべきアンサンブル能力の高さをじっくりと観賞して頂きたい.
加えてアメリカ特有のブラスの響きは,まさにアメリカの天真爛漫 且つ 統制の取れた見事な統一感を満喫させてくれるに
違いない。5年ぶりの再来日。フィリップ・マイヤースからも楽しいコンサートにしたいとメールが入っています。
これは楽しめそうですよ。(G)

音楽をするということ、聴くこと

一般的に「音楽をする」ということは歌ったり楽器で音を出していると音楽をしていると言うが、とんでもない間違い!
しようとしているかもしれないが、冗談ではない。適当に音を出したら音楽なら子供から老人まで皆音楽家になってしまう。

音にはいろんなメッセージを乗せることが出来る。言葉=歌は非常に直接的で判りやすい。楽器で演奏となると、とくにアコースティックのものは、音創りから始めなくてはならない。ある種叩けば音が出る鍵盤や打楽器は単なる音は出しやすい。他の楽器は音楽に使える音にするまでが大変だ。長い時間をかけて丹念に練習を積み重ねて、初めてそういう使える音が出せるようになる。
楽器により固有の楽器の難易度があるので一概には語れないが、兎に角音を一応並べる事が出来るようになっても、音楽をする事からは、遥か遠い位置にあるのだということは認識したい。
昨今は演奏技術が発達して達者に弾く事が出来る人が多くなっている。リサイタルを尋ねても、テクニカルに難易度の高い曲を並べてこれ見よがしに演奏しきってしまう人達がいるが、その演奏に感動した試しは殆ど無い。
音に魂が入っていないのである。音楽的表現力の無い人達がどんどん増殖されている。
蒼然とした社会も大きく影響している。音をじっくりと観賞する機会が極端に少ない。音楽を聴いてもすぐ知ったかぶりの評論をする。じっと耳を澄ませてハーモニーの響きや、メロディーの移ろいを聴いてみたらいい。きっと今までと違う世界が聴こえてくるに違いない。騒々しい音から離れないと頭もやられる。音の洪水に麻痺されて頭も働かなくなる。
クラシック音楽と呼ばれるものは、頭を活性化させる。細胞の一つずつが動き出すのだ。そんな感覚を知ったものだけが、その素晴らしい境地を経験できる。早くではなく,良い音で聴かせることができるのが音楽家の仕事だ。
植物も動物もクラシック音楽を聞くと細胞のバイオリズムが安定して成長する。それは各分野で証明済みだ。
耳をこらしてじっくりと聴く時間を創ろう。そこから音楽をするという事が見えてくる。(G)