クラシック音楽業界雑感

最近の日本のオーケストラの事業についての雑感ですが、指揮者に振り回されているという感じですね。勿論のこと一流の指揮者はそれなりの音楽創造のアイデアを持ち、アイデンティティーが高いのでその面白さがあります。またその周りの音楽家も一流の演奏家が多く、ある種のコミュニティーを形成しています。
ヨーロッパでは、トップクラスの売れっ子アーチストになるには、ある種のコミュニティーに属していないとブレイクはしません。ユダヤ系、フリーメイソン、そしてホモセクシャルが3大勢力で、そのいくつかに属している人も沢山います。それが全てではなくとても大きな力を持つということです。
勿論のこと実力が伴わないと相手にしてくれませんから、その上での話ですが、こういったバックアップの仲間がいないと世界の楽壇で活躍するのは、更に至難の業だということです。
国際コンクールなどの開かれた(?)場所はありますが、?があるように、様々な人間関係や資金が実力に大きく付加されて結果が出るのは周知のことです。
人類皆兄弟という倫理的次元の世界とは違う繋がり社会は、現実の世界でいやという程味わってますよね。その意味ではアメリカという社会は、外から見る限りではより自由で開けている感じはします。
日本は学閥社会です。大きな会社、上々企業、政界も学閥が結構幅を利かせてますよね。
話は戻りますが、オーケストラのプログラミングに指揮者が深く関与してきたのは、比較的最近の事だと思います。オケのことを全く熟知してる訳ではありませんが、話を総合すると、以前は音楽業界に詳しい事務局の企画事業部長などの職責の人達が結構発言権があったのに、最近は指揮者を決めると指揮者の企画を最優先という流れが見えてきます。
一長一短だと思いますが、外国人の音楽監督を置くオケではそれがかなり顕著です。外人社会は”出しゃばる代わりに責任も取る”習慣が身に付いているんですよね。
多分フルトヴェングラーの時代にもあったんでしょうけれど、カラヤンがその代表格だと思っています。彼の人選のゴシップも沢山ありました。
でもNYPでもマズアの時代にはその権力はオケマンもビビっていました。何を言いたいかというと、多くの優秀なアーチストたちがチャンスを掴む機会が非常に限定的になって来たという事です。
昔の日本は、お金持ちや社会的地位の高い人達が良い教育を受け、そのまま学閥の流れを創り、その世界を凌駕していました。今はそれに比べると随分変化しました。いろんなアーチストが育っています。---でもクラシックの世界ではお金や人脈がないと殆ど無理ですが!--- オーケストラも年間事業の中にもっと自由な発想でアーチストを起用できる枠を創って欲しいです。
これは邦人、外人問わずですが。多くの今を生きているお客さんたちが喜ぶ企画やアーチストを沢山の選択肢として持ち、それを実行して欲しいのです。流行のアーチストばかりクローズアップされる企画が多く、結局は運営のためのお金に終始しているのも現実です。
文化庁からお金を補助してもらってやる事業ではないはずです。プログラミングも新鮮みが少なすぎます。もっと大胆な切り口のプログラムで音楽を楽しんで貰えるかも知れません。
改革は必ずしも善ではないかもしれません。でも常に新しい見方を模索していけたら、どんなに刺激的で興味深いものになるかもしれません。2人の新旧ソリストを一晩のプログラムに入れてもいいかもしれません。巨匠と新星アーチストです。指揮者も前半と後半で入れ替えても面白いです。
もっと色んな楽器の協奏曲を入れてもいいと思います。とんでもない駄作では論外ですが。クロスオーバーは結構やってますが、チープな音楽(失礼!)はクロスオーバーにならない。例えばジャズで世界のトッププレーヤーはいいけど、ポップス歌手はNGですね。難しい話になってきました。別に差別してる訳ではないですが、個人的な芸術感覚ということで容赦を。
間に来客が会ったので今回はこれくらいにします。 

世界の管楽器プレイヤー

世界の管楽器プレイヤー:
ピアニスト、歌手、弦楽器奏者などに比べると、管楽器の名プレーヤー達は楽壇の表舞台に出る事が少ない。日本においては特に昔から学校の吹奏楽活動を通じて、とてつもない数の吹奏楽器経験者がうようよいるはずなのに、管楽器のソリストたちのコンサートの人気が一般音楽ファンには高く無い。吹奏楽の学生レヴェルは世界でも指折りの高いレヴェルにあるのに、なかなか一般レヴェルには継続していかない。スポーツの世界でのサッカーのそれと同じ構成にならない。
一方、ヨーロッパは吹奏楽ブラスバンドは生活と密着していて、田舎なんかでは冠婚葬祭や祭りには必ずといっていいくらいバンドが活躍している。その中で若い優秀な演奏者がプロの世界に巣立っていく。確かに日本のプロの管楽器プレイヤーもかつては吹奏楽経験者が多い事も事実だが、まだまだ世界を股に駆けるプレイヤーは人口比からしたらとても少ない。古典から近現代のオーケストラの曲でも、管楽器が重要な位置を占める曲は数多とある。ピアノやヴァイオリン、歌に比べると確かにそのレパートリーはある程度制限されるが、管楽器ならではの表現が必要な曲も非常に多い。以前はクラシックの分野でもクラシックファンが歓待するスタープレーヤーのコンサートが沢山あった。今は管楽器のコンサートはほぼ全員が現役アマチュアの管楽器プレーヤーが多いが、一般の音楽ファンが滅多に聴きに来ない。過去に楽器の楽しみや苦労をした一般人がこの手のコンサートに来ないのは なぜ? 何千万人もいるはずなのに。この壁を乗り越えていかないと世界に誇れる管楽器奏者もなかなか育ってはこない。今一度プロの演奏家達にソロ楽器としての、そしてアンサンブルの妙技をどんどん展開してもらいたいと思っている。プロアルテとしてももう一度管楽器プレーヤーに喚起してもらえる企画を考えたい。人さえ集まれば皆がそこそこ笑顔で、次に展開して行くはず。その輪を小さなものから拡げていきたい。知名度を上げるのも、まずは舞台が勝負。プロの意地もここから始まる。管楽器も人を大いに感動させる音楽が十分に出来る楽器です。音楽をすること、美しい歌を楽器で歌い上げる事、美しい音を出す事。決して見せびらかしのテクニックで満足しない事。そんな音楽家が沢山育つのを夢見ています。(G)

Gottlieb Wallisch/ ゴットリープ・ヴァリッシュ というピアニスト

ゴットリープ・ヴァリッシュ というピアニストを招聘して間もなくのコンサートを開催します。
まだ,日本では知名度がありません。このような知名度がなくとも一流の演奏家はヨーロッパを中心に数あまたいます。
どうやって探すかというと、海外のマネジャーの情報、音楽界のトピックス、音楽家の推薦、CDの新譜など様々な情報を集積して決定します。でも日本でコンサートをするとなると,まずお客さんがつくかどうかにどうしても会社としては重要な条件になりますが、それでも気に入ったアーチストがいればやってみたいというのも気持ちのなかにありますよね。
このゴットリープ・ヴァリッシュは,久々に心を清らかにそしてハットするまともな!モーツァルトを含む古典音楽を聴かせてくれそうなピアニストです。実際に音がピュアなのに表情が深い!美しい音を出すタッチを持っているのはアーチストの音に対する研ぎ澄まされた最も重要な感性です。音の汚いアーチストはどんなにテクニックがあってもダメ!フレーズを創る以前の問題です。6月24日19時トッパンホール聴いて見てください。きっと音楽の喜び徒感動を感じる事ができます!聴いたら後日御意見ください。楽しみにしてます。なんとこのページを見たユーザーは当日3000円(一般5000円)にて楽しんで戴きます。
受付にて[ブログ読みました]と仰有ってください。文責:原

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